ZOOM飲み

昨今の新型ウイルスの蔓延により、学校も会社も在宅、在宅で実際のところみんなどうしてる?と、近況報告もかねてどこかで集まって、お酒でも飲みながらざっくばらんに聞きたいところですが、それが一番難しいご時世になってしまいました。
そんな折もあってか、僕の大学時代のスキーサークルの先輩から流行りのオンライン 飲み会なるものにお誘いいただいて、全くの初めてであったにも関わらず、自宅でたった一人思いのほか楽しむことができた。

合計6人での集まりで、午後8時から約2時間ほどでしょうか。見違えるほど大きくなったお子さん達もワイワイと登場して、自宅ゆえのゆるゆる感もたっぷりとあった。最後のほうはみんな歳のせいでしょうか、それぞれ親を見送るような人生の時期に差し掛かり、今度親に会う時はこれが最後かもしれないと思って接したほうがいいよと、最近お母さまを亡くされた先輩からの言葉でお開きになった。
毒にも薬にもならないような話もいいけれど、誰の身にも避けがたく迫ってくる親の死というものに対して、自分自身にも心当たりのある実感のこもった言葉であっただけに、しんみりとした気持ちでZOOM飲みという会を終了した。

この侘しさ、写真から伝わってくるでしょうか。
養生テープに食べかけのチップスター、食い散らかした残骸。
右手に映る4インチの液晶画面が、祭りのあとのやぐら提灯のようです。
いつもの日常の中に、それぞれ別々の空間にいる人達が奇妙に溶け合い言葉を交わし、ひとたび液晶画面の終了ボタンをタッチすれば急転直下で日常に戻る。
ふと我に帰ったように再び一人になり、なんだか消化不良のようなやり切れない気持ちになって、ますます酒でも浴びたくなるのは一見無駄とも思える移動の時間がスッポリと欠落しているからでしょうか。
ゆっくりと気持ちをほぐすように熱い風呂に入ったり、しばらく歩いて外の風に当たったり、何かしらの心を整えるつなぎの時間が必要だ。

以下、機材に関する所見。

この端末は早々にイヤホンジャックが壊れてしまい(お高いのに壊れがちなリンゴマーク!)大きな音で音楽を聞きたい場合は無線で音を飛ばすしか方法がなくなったのですが、いつものようにブルートゥースで外部スピーカーから音声を出力しようと試みるものの、ZOOMアプリではなぜか外部スピーカーを認識できず、一旦ブルートゥースを切断してipod内蔵の超極小スピーカーに切り替えたとたんに先輩諸兄の声が聞こえてくる。
しかし、その音声は注意深く耳を傾けないといけないもので(ひょっとしたらそれが標準なのかもしれない)もし次回、同様の集まりがあるとするならば、この小型端末ではなくパソコンを使用してカメラやマイクの機材を整えたほうがより快適な通信が望めるのではないか。さらに欲をいえば、この4インチ小型ディスプレイでは、写っている人の顔などは虫眼鏡で見ないことには到底確認することなど出来ないサイズになってしまい、6人での飲み会ともなれば画面に全員収まりきらずスワイプして見切れている人の様子を確認する必要性も生じてしまう。いくらクイック&イージーで始められるZOOMとはいえ、今の自分の機材環境ではいささか不十分と感じる点も判明した。

板材の鉋がけ

二枚の板をハギ合わせた箇所に残った接着剤をスクレーバーで落としてから、鉋がけに移ります。

雨が降って下端の調子が狂って、なんか調子悪いなぁ、とか。
刃の仕込み具合が左右で違って、まっすぐ刃が出てこないなぁ、とか。
ぜんぜん逆目が止まんねーなぁ、と思っていたら刃口が開いていた、とか。
なんで鉋屑が詰まるんだよ、とよく見たら裏刃の耳の当たり具合が変わってカチャカチャ音がする、とか。

デリケートな道具だけに普通に調子良く使える状態になるまでには、あれやこれやと本当に世話が焼けます。

鉋は台が重要なのですが、刃の方はどうでしょう。
ストレートエッジを先端部分に当てて見ると、真っ直ぐではなく微妙なカーブをつくっている。

拡大してみると刃の両側に隙間があるのがわかるでしょうか。
板材を削る場合はこのカーブのさじ加減が難しく、やり過ぎもいけないし、まっすぐもいけない。

削り屑の中央部分から両端にいくにつれて薄くなるのが理想の削り方で、それをもう少し薄くする、さらに頑張ってもう一段階薄くする、と進めていくと、仕上がりに近づいていきます。

板材のハギ合わせ

台を少し長めにして仕込んだ小鉋。
一寸一分くらいの板材をハギ合わせる場合は小鉋でハギ面をつくります。

チェリー材。
二枚の板を合わせる面を鉋で削ります。

ハギ合わせの方法はたくさんありますが、いわゆる「芋矧ぎ」です。
慌ててビスケットを入れて失敗したり、本ザネにしてハギ面が永遠に決まらなくて失敗したり、今までさんざん泣かされてきて、最終的には芋ハギが良いです。

接着剤をローラーで塗布。
すぐに乾くボンドなので手早く作業を進める。

二枚の板を合わせた部分がズレないように注意しながらクランプで締めていく。

下から締めたクランプ、上から締めたクランプがバランスよく接着面に力が加わるようにする。

ストレートエッジで平面であるかどうか確認してハギ作業は終了。
ただでさえ重い無垢材に鉄のクランプが加われば重いに決まっている。これを持ち上げて移動させている間にギックリ腰になる可能性は大いにある。

仕事始まってます。

材料を刻み始めるにあたり、まず一番に取り掛かる仕事。
鼻切りといいます。
砂が噛んでいることが前提の木口ですので、赤いスプレー部分はもったいないと感じるかもしれませんが切り落とします。
この作業をせずにそのまま機械に入れると一度で刃物がダメになるからです。

切り落とした木口をよく見る。
表には見えない木口割れがまだ入っていないかどうか確認したり、木の生育過程や硬さ、色味といった木味(きあじ)がわかるので必ず確認します。

小型丸ノコもコードレスの時代へと移り変わってゆくのでしょうか。
誤ってコードを切断して仕事が中断することはなくなると思いますが、便利さと引き換えに何を失っていくのか見極めないといけない。メーカーの囲い込み作戦に巻き込まれたくない気持ち半分、充電池を買い続けることが果たして明るい未来なのか疑問半分のままです。

天気の良い日、西日が差し込む午後5時過ぎ。
木目を見て、白太の具合を見て、実際に部材として取れるかどうか、取れたとしてもそれが全体のなかで調和を欠いていないかどうか、天然ものであるがゆえに素材との対話が欠かせない。
夏至に向かってだんだんと日が長くなってきました。

昨年末の仕事

何もしていないのに、あっという間に2月が終わろうとしている。
忙しかったのだろうか記憶があまり無い。まさか流行のウイルスに感染したわけでもあるまいし、疲れ果てていたのかヤル気が起きなかったのか、いずれにしても仕事が少し落ち着いたので、少しずつ制作したものをアップしていこう。

写真は昨年末に納品した鬼胡桃のダイニングテーブル。制作の途中経過も少し紹介したでしょうか。
自分がつくったテーブルよりまず先に目に留まるのは、デンマークの巨匠、ハンス・ウェグナーの有名な椅子、コードネームはCH-24、通称Yチェア。その向かいにある2脚は同じくハンス・ウェグナーのCH-23。両方共に今を遡ること70年前にこの世に産み落とされた名作だ。デザインした本人がすでにこの世を去ってもなお、世代を超えて営々とつくられ続けている木の椅子であり、デンマークの自国の経済はもとより国境を超えて海を超えて、世界にあまねく質の良い豊かさを届けるなんて果たしてこれ以上のことがあるのでしょうか。ものづくりは額に汗して手を汚して何かを一生懸命につくることも大事だけれど、やはり本当に価値のあるものは創造力なんだと改めて思い知らされる。

さて、そんな巨匠のつくったものに比べるといかにも自分の仕事が小さく見えてくるが、テーブルはご覧の通り長手方向に6脚の椅子を並べて座れる大きさになっていて、天板は一寸五分の長尺板目の板をハギ合わせて38ミリ程度の厚みに仕上がったでしょうか。幕板の内部に天板反り止め用の吸い付き桟が入っています。
ご主人の希望で、どっしりとしたボリュームのある脚部と、余計なかたちをつくることはせずにシンプルなものにして欲しいと、デザインを決める過程で私とお客さまとのやり取りが何度かあり、最終的なかたちになった。
制作するにあたってはサイズが大きいので取り回しが大変だったことと、材料の裏に小節が少しあり、それをどう扱うかで時間がかかった。
ただ、クルミは家具用材の中では比較的柔らかく加工が容易で、とくに難しい箇所はなかった思う。

テーブル制作を依頼したお客様との出会いのきっかけは、ご主人の奥さんが僕の後輩というご縁で声をかけていただいた。
もうかれこれ20年近く前の古い話になるのですが、私は母校の大学で木工研究室の助手という立場で働いていて、彼女はそのときの学生でした。

怒られるかな、この写真。
当時の木工専攻の学生と先生と講師の面々。
インターネットにおける無自覚な写真掲載は思わぬところで思わぬ結果を招く危険が潜んでいますが、20年も経てばすっかり別人に変わり果てる人もきっといるだろうから、もう大丈夫でしょうか。
右下にいる赤いチャイナドレスを着た女装の男の左。

卒業後に何かの機会で再会したとき、写真家の都築響一さんと一緒にカラオケに行ったことを熱く語っていたのを鮮明に覚えている。
あの時は編集の仕事をしていたんでしたっけ?
あれから19年。
その後、今のご主人と出会って二人の元気な男の子にも恵まれて、自宅を新築したきっかけで、かつての知り合いにわざわざ声をかけてくれました。
学生と助手の関係なんて立場も役割も全く違っていて、実際はそんなに歳が離れていなくても両者のあいだにある溝は深かったと思うし、自分自身も割り切れないと感じながらもどこかで一線を引いていた。
ところが中には珍しい人もいて、当時の立場や関係を軽快にすっ飛ばして、20年という歳月もたった2ヶ月くらいに見なしてさわやかに連絡をくれる人もいる。
ありがたい話である。

時間がかかってお待たせしてばかりでしたが、出来る限り誠実につくりました。
でも、あんまり神経質にならないで、ホットプレートを置いて焼肉してもいいし、酔っ払って赤ワインこぼしたっていいし、なにより家族や友人とテールブを囲んで楽しい時間を過ごして下さい。
嬉しい時も悲しい時も、人生にそっと寄り添うようなテーブルであればいいなぁと願っています。