• 新年度とは全く関係ないですが、

    春になったからだろうか、工房すぐ裏の用水路にオオバンが頻繁に来るようになり、鳴き声を聞くだけで「ああ、いるな、、、」と、わかるようになってきた。

    見た目は真っ黒でカラスみたいな水鳥だし、別にこれといって特別な思い入れなど全くないのだけれど、変な偶然がたまたま重なり、今まで存在すら知らなかった水鳥と一緒に生きてゆくようになった。

    脅かすように近づいてゆくと、水面を駆けてゆくように逃げていくので、そーっと近づいてよく見ると、コンクリート壁に生えている苔や藻をくちばしの先で突いて食べている。
    自然の水辺に生えている水草を食べることを考えると、ちょっと気の毒になってくる光景だ。

    音もなくスイーっと壁に近づいて、、、

    無心につっつく。

    武士は食わねど高楊枝といわんばかりの、いたって涼しい顔でまた次のターゲットに向かう。
    たくましいよね。

    10年以上前に盆栽で頂いたカエデも、気が付けば見上げるような樹高になり、今年も黄色い花が咲き始めました。

  • 平かんな仕込んだ

    左から寸二、寸四、二寸の平かんな。
    早くやらなきゃと思いながら、長い間放っておいたものをお正月にまとめて仕上げた。
    かんなの仕込みは毎回毎回やるたびに勉強ばかりで、次はこうしよう、次はああしようと学びが多く、完璧に100パーセント自分が納得できるものはなかなかできない。

    「梅弘」関西の問屋銘のかんな。
    ひょうたんの上のアマビエみたいな刻印は何だろう?


    中古でありがちな、玄能で叩かれすぎて鉋身の頭がめくれていることが多いのですが、これも例外ではなかったので全部削ってスッキリさせた。

    「信義」のぶよし?聞いたことない。
    これは頭も側もめくれてベロベロだったので、原形をとどめないくらいグラインダーで成形した。
    裏刃は柔らかく寄せたいので、なるべく耳は立てたくないのですが、すったもんだの挙句こんなカタチになってしまった。嗚呼、、、。

    「三代目千代鶴 延国」
    硬い玄能で裏刃を追い込んだ痕が細かく残っている。
    これはうまく仕込めた。

    二寸の台は集成材にした。寸八用の白樫しか持っていなかったので、幅が足りずフチ張りをするように側を足した。芯をよく見ると左側が荒い木目で、右側が目の詰んだもの。
    素材との対話が足りていないのか、それとも良いものの完成イメージが足りていないのか、そのどちらかだろう。芯だからといって侮ることなかれ、交互に混ぜればよかった。

    寸四のものは上下に薄板をサンドイッチしただけ。
    接着剤分の重さが加わるので集成材の台は使いづらいだろうと思っていたけれど、あんがい重さ自体は気にならず、それよりも抜群の安定感で下端の調整が楽になるメリットの方が大きい。

    寸二は白樫の無垢材だ。追い柾。
    木材としては板目と言うのに、かんな台になった途端に柾目と呼ばれる不思議。
    道具として本調子になるまでには使いながら微調整しながら、もう少し時間がかかる。

  • 身近にあったクローン

    近所のホームセンターでひとしきり悩んだ挙句、2度目の往訪で結局買ってしまった。
    冬の時期になるとポット苗が店先に並んだり、庭に地植えした株も活動を始めて新芽が出てきたり、クリスマスローズに対する関心がなぜか再熱して今シーズンもやってしまった。思い切って購入したのはブラックパールと命名されたメリクロン苗だ。
    手のひらに乗るほどの小さなポット苗にも関わらず、なんと657円の高値が付けられており、いつもだったら298円の苗が半額引きになって手が伸びるくらいだから、なかなかの決断だった。

    丈夫で手間がかからないし、何といっても霜に強い植物なのがすっかり気に入って、4年前には専門書まで買った。
    本の中で掲載されている写真も豊富でおまけにキレイ、お花の種類から詳しい育て方、そもそもの歴史から品種改良を始めたイギリス人女性育種家の話まで、もうお腹いっぱいの充実した内容になっていて、時々手に取って眺めたりしている。
    その中で1ページほど割かれているのがメリクロン(成長点培養)と呼ばれる増殖方法だ。短期間で効率よく大量に増やすバイオテクノロジーのクローン技術のことだが、本書では決して「クローン」という不穏な言葉は使っていない。しかし、要するにクローンだ。ウイルス性の病気にも強く、審美的な面からも重宝される個体だけを人が厳選して全く同じ品質の優良株を大量に増やすことが可能で、お花の安定供給と普及に大きく貢献している技術とのこと。
    そうか、園芸の世界ではすでにそんなことが公然と行われていて、身近な場所にヒタヒタと忍び寄ってきていることにも驚きだが、なにより人間の欲深さを覗き見るようで恐ろしくもある。
    これが観賞用の小さな植物ならまだ許せる範囲なのかもしれないが、それが食用の野菜や果物、もっと踏み込んで魚や動物、例えばウイルスのせいで大量処分されるような鶏に適用されたら心痛むニュースもなくなるのだろうか、あるいは肉質も良く病気にも強い優良豚のクローン、、、。
    試しに一度メリクロンなるものを買ってみようと思った。

    もう一つ本の中で気づいたのが、古い葉っぱは切った方がよいとさまざまな場面で書かれていたことだった。確かに掲載されている写真のほとんどはお花が咲いている茎だけを残して、わさわさと茂る周辺の葉っぱを全部切り落として、スッキリとした株立ちの姿で咲いているものばかりだ。
    そうか、古い葉っぱは切った方がいいのかと認識を新たにして、早速実践してみた結果、2021年冬の姿がこれだ。

    あまりにも寂しすぎて哀れになってくるのだが、8号鉢に植え替えているので、3年目か4年目の株だろうか、春先に新芽がふたつしか出てこず、一本は風で吹き飛ばされて、残った一本は葉っぱが4枚の風前のともしびで、よく生きているなぁとさえ思う。
    気付け薬か気休めか、固形化学肥料をドラッグのように施肥して、がんばれ頑張れと見守るしかない状態だが、この株はまだマシな方で、せっかく黒っぽい色の花が咲いて喜んでいた株に至っては、花が咲き終り、やがて花芽も枯れ、地上部分には茎一枚すら残っておらず、新芽が出るかなと観察していたものの結局何の変化も起きないまま冬を迎えてしまい、おかしいなと思い植え替えしようと鉢をひっくり返すと、根っこすら残っていなかった。
    本を監修したエキスパートの方々を非難するつもりは全くないが、結果的に角を矯めて牛を殺すようなことになってしまい、ショックも大きかった。多少見栄えが良くなくても古い葉っぱが青いうちは、花が咲く茎ばかり残して古葉を全部切ったりせずに、それこそ適当に放っておかなくてはいけなかったのだ。

    もったいなかったなぁ、、、あの黒紫の花好きだったな。一重咲きの下向きで咲いている姿、好きだったなぁ。白とか薄ピンクのぼんやりした色の花ばかりが咲く中で、いいアクセントになっていたよなぁ、と盛大な心残りがあった。
    そんな傷心状態でたまたまホームセンターの店先で出会ってしまった禁断のメリクロン苗。種から交配した自然な実生苗とは異なる方法で培養されたものを実際に購入するというアクションを起こすことで、一体どんな因果がもたらされるのか、いまのところ全くわからない。ただ、ペットロスに新しいペットを迎え入れるように、ラベルに印刷された花がほぼ確実に咲くというクローン植物を手に入れたという顛末。
    順調にいけば再来年の春ごろでしょうか、花が咲くだけが植物ではないけれど、はたして謳い文句どおりのお花がどんな様子になるのか、気になるところではある。

  • 動画撮影、その二

    Photo by @pon_pokopoko 

    短い撮影時間の中では出来ることなど僅かしかなく、とりわけ木工という仕事は使う道具をあれこれ用意して、治具もセットして、試し加工も済ませ、緊張の1工程をやって午前中はおしまいなんてよくある事だ。制作中のものが完成した状態まではお見せできないけれど、支障がない程度に色々な工程を順番に考えていたのだが、一つ手落ちがあった。
    ああそうだ、、、仕事も大事だけれど身なりも人並みに整えるべく床屋に行っておこうと思いつき、いつものように予約のための電話をすると、なんと二週間先までいっぱいだと言う。
    困ったな、、、予約なしの知らない床屋さんに飛び込んで行って1時間近くも待たされるような時間的余裕もないし、かといって町に溢れるキラキラ美容院に行ってファッション誌を広げた女性のとなりで髪の毛を切ってもらうなんてソフトな拷問に等しい。以前は食品スーパーの隣に併設されていた入り口は一つだけれど、手前が床屋、その奥が美容室という不思議な間取りの床屋さんに通っていたのだが、人手不足なのかシャンプーだけ奥の美容でしてもらったことが一度あり、思いのほか抵抗を感じた。
    結局、まあいいかと諦めたのだが、これがよくなかった。
    後日編集を終えて出来上がってきた映像を見て思わずのけぞってしまったのだが、自分がつくった「もの」を人にまじまじと見られることには慣れてきたけれど、自分そのものが人から見られる対象になるなんて今まで考えたことすらなかった。

    そして、当日は暑かった。
    梅雨明け10日の快晴で、それまでのジメジメとした空を一掃したような真夏日であった。
    撮影自体は丸1日で、注文を受けていた小ぶりのダイニングテーブルの制作風景からスタートし、天板のハギ合わせ作業を始めたのだが、なぜかいつもと様子が違う。
    何か変だなぁ、何かがおかしいなぁ、、と感じながらカメラを向けられた状態で仕事を進めていくのだが、あとから思い返すといろいろなチグハグがあった。
    たとえば、罫書きゲージを何故か逆手で持って墨付けしていたり、硬いナラの木を自動鉋で製材して、鋭利になった木端でまさかの指を切って流血したり、本当に暑い1日だったせいか、かんな台の下端が盛大に狂って今思い返してもちょっと落ち込んでくる削り具合だったり、とにかく時間内にあれをしなくては、これをしなくてはと気持ちも焦って、と同時にしっくりこない感覚を引きずりながら、かといって立ち止まって修正するわけにもいかず、終始あたふたしていた。
    そんな調子で汗だくのまま午前中がすっかり過ぎ、お昼休憩を挟んでその後は質問形式の対話に移ったのだが、これがまた事前打ち合わせのないぶっつけ本番の鋭く核心に切り込んでくる質問で、どうにも答えに窮してしまい、しどろもどろの非常に歯切れの悪いものになってしまった。
    アップル社のかつての大将、スティーブ・ジョブズは新製品のプレゼンテーションのために、事前に自宅で何度も何度も繰り返し練習していたことをある伝記で読んだ。あらかじめ質問内容を聞いておけば、かっこいい理想的な答えを夜な夜な考え推敲し、それこそ何度も何度も声に出して練習して、本番は淀みなくスムーズに答えられたかもしれない。
    しかし、現実はあまりにも残酷で、普段思っていること、感じていることをわかりやすく言語化できずに、何の問題意識もなくぼんやりと目の前の仕事をこなしているだけの今の現状を突きつけられたようで、あとから一人で落ち込んでしまった。自分の仕事の強みや理念、あるいは大きなビジョンや社会に対しての働きかけ、それに将来の夢、何一つとしてまともに答えられなかったし、ひょっとしたら答えられないのではなく、もともと自分の中にこれっぽちも存在すらしないのではないのかとさえ思えた。

    Photo by @pon_pokopoko 


    木工は刃物を扱う仕事だけに、誰かが見ているからと張り切って普段やらないようなことをして、最悪の場合は取り返しのつかない事になったりするのだが(そうならなかっただけでもマシと言えるが)自分は作業中にじっと人に見られていたり、時間ばかり気にして慌てていると、歯車がカラカラと虚しく空回りするような状態になると改めて感じた。なぜいつも通りじっくり一人で仕事している時のように鷹揚に構えていられないのか。
    でもおそらくきっと、こういうのは性格というよりも何よりも、手を動かして何かものをつくりだす人の成熟度というか凄みというか、仕事にとことん向き合うプロ意識の欠如の表れというか、あるいは単にいろんな場数や経験が足りないだけのアマちゃんの言い訳ではないのだろうかとも思っている。

    近いうちに編集されたムービーをアップロードしてもらう予定です。
    本家ホームページの方でも紹介できればと考えています。

  • 動画撮影、その一

    つい先日、不思議なご縁があって自分の仕事の様子を動画撮影していただいた。
    ユーチューブである。
    制作風景とインタビューを撮ってもらい、それを持ち帰って後日編集していただき、完成したものをのちのち公開する予定で、果たしてどんなかたちのものになるのか、気分はすっかり俎板の上のコイ状態である。
    本当のことを言うと、お話を頂いてからあれやこれやとあてもなくいろいろ考えて、普段取りかかっている仕事の段取りも毎回ギリギリで余裕がなく、ただ時間だけが過ぎてゆき、結局のところ、自分の宣伝や格好つけたセルフブランディングよりも何よりも、撮影してくださる方のキャリアアップや夢の実現に微力ながら協力できればと思い至り、恥ずかしいカッコ悪いを全部かなぐり捨てて、素っ裸のふんどしすら脱ぎ捨てた気持ちで引き受けたところがある。至人は己なしの高みは果てしなく遠いのである。

    その後何回かメールでのやり取りがあり、いざ撮影となったら日にちは思いのほか急転直下で決まり、そうだよな、、、東京からわざわざ大型の三脚や重いケーブルやら照明やら、全部ひとくくりにまとめてせっかく工房まで来ていただくのだから、できる限りの準備をしよう、無駄足にならないように効率よく撮ってもらおう、と、あたふたと時間に追われたけれど、当日待ち合わせたJRの駅でお会いしてみれば、あれ?と思うほど身軽ないでたちで、テニスの試合に持っていくようなカバンひとつだけだった。
    まさか肩に担くようなテレビ局のカメラではないとぼんやり想像していたものの、その撮影機材のコンパクトさに驚き、工房に着いてやおらカバンから取り出したのはなんと、ソニーの小さなミラーレス一眼だった。
    へえと感心して聞くと、今はこちらの方が主流とのこと。時代は確実に変化しているのである。

  • チェリー、天板

    板目2枚ハギの共木の天板。
    オイルを塗布してしばらく染み込ませ、ウエスで拭き取ると浮かび上がってくる饒舌すぎる木の表情にしばし手を止めて、思わずうっとりと眺めているところ。
    一本の丸太から製材した板だけに、色味も同じ、木目も同じ、いわゆる共木(ともぎ)というこれ以上ない贅沢なつくりで、がんばって仕事を続けていればこうした出会いもあるのだとあらためて感じている。
    天板向かって左の方を見るとハギ合わせたところがちょうど木表、木裏のブックマッチになっているので、光の反射具合でどこでくっつけたのか一目瞭然だ。しかし、それもまた共木であれば決して不自然ではない、新しい木の面白い表情にもなる。
    それにしてもだ、明るい漆を塗って仕上げたようなこっくりとした味わいの色合いだ。西日に照らされて、きらきらと光を受けて反射する木の繊維の輝きは、もはや地上の宝石と言ってもよいほどに希少かつ貴重なもので、そんな自然が作り出した造形を切り刻んでかたちにする責任やプレッシャーもあるけれど、それよりもなによりも、無駄にしてはいけない、使えるものに仕上げなくてはいけないと、刃物を当てるたびに自分を言い聞かせて制作に向かった。

    実際に制作するにあたっては、板が杢だけに鉋がけの際はならい目さか目、ならい目さか目と連続して削ってゆくことになるので、いい加減な気持ちで仕事をしていると陥没するほどの逆目がすぐに起きてしまい、プレーナーなどの機械加工はもちろん、横ずりの段階から刃口も裏刃も寄せて神経を使う作業になった。

  • 先月の仕事

    今からもう11年近く前、福島県の旧館岩村のオグラさんでヤマザクラの原木を購入した。
    曲がりと少しねじれのある、直径も45センチほどの小ぶりな丸太。
    製材機に入れる前にどの方向から挽いていくか、手術台に載せられたような丸太をゴロゴロと転がしながら、右から左から曲がりの向きや節の有無、木口割れの入り方をじっくりと観察する。
    個人工房のような少量しか買わないお客でも、ものづくりに理解のある材木屋さんなので足蹴にされないのは本当にありがたい。

    9分(27ミリくらい)ほど挽いて、まず白太。
    帯鋸で挽くたびに表情を変えてゆく木目に一喜一憂しながら、大型機械を操るハンドルマンに厚みの指示をお願いします。
    丸太自体の太さがないとはいえ、テーブルや箱ものの天板にできるようなきれいな木目の板がほしいと神頼みするような気持ちになる。

    ひととおり製材を終えたところ。
    水分を含んでいるので、薄っぺらい板のように見えるが、実はどれもずっしりと重い。

    天然乾燥のあいだに樹皮や白太の部分はテッポウムシと呼ばれる小さなカミキリ虫の幼虫に最終的に食われる運命にあるのだが、被害を最小限に食い止めるためにも樹皮は必ず取り去らなくてはならない。
    工芸やハンドクラフトと呼ばれるものづくりの命でもある材料がどこから来るのか(特に木工は素材がそのまま仕上げになるジャンル)斧を担いで山に入ることは出来ないにしても、できるだけ上流に遡ってみる必要は大いにあると考えている。

    このあと木材割れ止め防止塗料、ランバーメイトを木口と板の真ん中に塗り、風が抜けるようにきれいに桟積みして、天然乾燥で4年、その後人工乾燥機に入れてから工房まで送ってもらい、さらに6年保管した。
    ふう、気が長いなあ。
    どんなものになるのか、あるいはどんなものにするのか全く決まっていない状態の材料をストックするのは、木工ほんらいのあり方であり、かくいう自分もそんな風にしながら木工という仕事が続けられたらと願うばかりであるが、とにかく仕事に余裕がないと出来ない事である。
    贅沢な願いだろうか、それとも単なるわがままだろうか。

    昨年に制作依頼を受けて、ああそうだ、あの材料があったと在庫をひっくりかえして、ギリギリの幅で板が取れそうなことが判明し、今回サイドボードの制作をした。

    近頃の仕事としてホームページにもアップしました。

  • 見通しが良くなるように

    初めて老眼鏡を手にしてから2年が経過し、それ以来崖から転げ落ちるように一気に老眼が進んだと感じているのですが、そのうちメガネも三つに増えた。
    一番最初につくった眼鏡は仕事用と割り切って、細かい加工の時など調子良く使っていたのだが、いかんせん人生最初の眼鏡だったせいで後々いろいろと気づくことがあり、なんといっても一番の問題点はデリケート過ぎるフレーム形状だった。
    というのも、テンプル『つる』の部分があまりにも細すぎて、当然の帰結としてヒンジ部分も小さくなってくるのだが、仕事中はいい加減に扱っているせいかヒンジ部分がまず壊れた。

    ノギスで測るとテンプル部分の幅はわずか3ミリしかない。

    ニコン・エシロールのレンズ自体はとても良いのだが、、、

    修理から上がってきたヒンジはレーザー溶接された新しいものだった。
    3ミリ幅で蝶番を溶接するなんて、果たしてこれは職人技なのだろうか、もしくは機械の仕事なのだろうか?

    もう一つ気になった点はノーズパットの形状で、遠くを見る際にメガネを頭の上に乗っけた時、ほぼ間違いなく髪の毛がノーズパットに引っ掛かるのである。
    再び近くを見ようと眼鏡を戻す時、ノーズパットに髪の毛が1、2本挟まっていて引っ張ると痛くてイライラする。
    この形状のノーズパットは仕事用としては不向きと気づき、フレームと一体型になっているものを探し、近所のショッピングモール内にあるZoffの「吊るし」の老眼鏡を買った。

    もっと刃先を見たい時があるので、度数を一段階上げて+2.0にしたら、こんどは裸眼の時との落差があり過ぎて、眼鏡を外すと1メートル先もぼんやりして見えないような状態になるので、あまり手が伸びなくなった。

    次は度数を一段階落として、ドイツ製の廉価版眼鏡を買ったのだが、今度はレンズがおもちゃみたいなプラスチックの質感で、その質の悪さが眼球から伝わってくるようで、かけ心地というより見え心地が常に気になり頻繁に洗ったり拭いたりする始末である。

    眼鏡ストラップは洗濯ができる木綿のものが気に入っている。

    今年も老眼鏡の迷走は続きそうだけれど、できれば良い眼鏡を新調したい。

    新調といえば、追い入れ鑿を新調した。
    仕事すればするほど、研いでは使って研いでは使ってどんどん短くチビていく道具。
    つくってくれる鍛冶屋さんも減り、あの人か、この人かくらいになっている。

    鑿箱も新調しようと木取りも済ませて、部材の加工に入ったまま中途半端になっている。
    自分の道具を整えている時間がないのです。

    カエデの柾目のいいとこ取りでつくろうとしているが、果たしていつ完成することやら。

    以前、工房の外にFMアンテナを立ててラジオをずっと聞いていたのですが、それがいつの頃からかインターネットのradikoでラジオを聴くようになり、ipodからアンプに繋いでスピーカーに出力していて、一日中電源を繋ぎっぱなしでラジコやスポティファイを聞いていたせいか、ipodのバッテリーが膨張してきて(そもそも使い方を間違っている)、他の方法を考えていた。

    ハードに使い過ぎてホームボタンもパンツがずり落ちたようになってしまった。

    今はipodの代わりにアマゾンのエコーフレックスでラジコをつけている。
    もう発売しないのだろうか、とても気に入っている。
    3.5ミリのミニプラグから出力なんてオーディオマニアの人から見れば完全に子供騙しです。

    古いミニコンポで20年使っているアンプにエコーからRCAケーブルで入力している。CDプレーヤーは一度修理したものの、木ぼこりのせいでいつも挙動不審。

    ブックシェルフサイズの小さなスピーカーに繋ぎラジコをいつも聴いている。

    仕事のことを少し。
    昨年の5月に頂いた仕事。泣く泣く断った仕事もあるくらい、いろいろと声をかけていただき、2021年元旦まだ完成しておりません。
    これから引き戸を塗装して組み立てて、脚部の加工と旋盤、貫を組み立てれば完成です。

    かまちに組む引き戸の鏡板が幅広なので、上桟、下桟に突いた小穴の真ん中にさらにほぞ穴を開けて、ほぞ付きの鏡板にします。

    ヤマザクラ材、堅過ぎずやわらか過ぎず、カンナで削ると甘い香りがします。

  • 8月になってしまった。

    3月末から木取りを始めた仕事もいよいよ大詰め。
    同時多発的にいろんなことをしながら、やること盛り沢山の仕事でもいっこうに手が進まず、お客様に対して申し訳ない限りです。

    引き出し前板の裏側。
    底板用の小穴はカッターで落としきれない部分があるので最後は鑿で仕上げます。

    引き出しの側板

    箱物は小さくても大きくてもやっぱり部材が多い。

    接着。
    前板に傷がつかないように、厚紙を貼り付けた当て木をマスキングテープでクランプに留めている。

    接着の待ち時間に鍵加工を試してみる。
    一発勝負なので、何度も治具を調整してから本番に臨む。

    皿ネジで止める際は注意しないとヌルっとズレたりする。
    慎重に下穴をあけよう。

  • 45度のトメ加工は難しい

    接着のために、小さな馬(sawhorses木挽き台)もつくった。

    横倒しにして側板の仮組み。
    棚板に少し縦反りが出ているので、タテヨコでクランプを使う。

    側板、天板部分の接着はクランプが大渋滞して、いちばん力を加えたい仕口部分を締められない。
    実際に制作するにあたり、肝心の問題に直面するまでは難しいだろうなとボンヤリ思うだけで、事前に綿密な計画など立てていないことが案外多い。

    こうなったら最後の手段だ。
    当て木をじかにボンドで接着して、その当て木ごと締めてしまう計画だ。

    常識外れの非常手段だろうか、もしくは板材45度留め加工接着時の新定跡だろうか。
    仕上げたはずの側板、天板に接着した当て木を後からFクランプで圧締するなんて、、、。
    これなら正確に加工した45度部分を間違いなく確実に締め込むことが可能だ。
    本来の接着が終われば、役目を終えた当て木がくっついたままなので、時間はかかるが縦挽き鋸と鉋を使い元どおりに仕上げることになる。

    仮組み。
    狭い工房内での接着は危険がいっぱい。