
今年の春に縁あってクルミの実生の苗をいただいて、はたして海辺の砂地で根付くかどうか不安があったものの、制作の過程で出るオガ屑を山にしてつくった自家製腐葉土をせっせと鋤き込んで、南側のカド地に植えた。
突風で倒れないように支柱も立てて、夜な夜な闊歩する狸やハクビシンやウサちゃんに荒らされないように囲いもつくり、大木に育った姿を勝手に夢想して、いただき物であることも手伝ってか気にかけながら様子を見ていた。
しばらくは何の変化もなく、短い梅雨が明け、暑い夏が始まったという頃、一体どういう訳だかドンドコ、ドンドコ新芽が伸びてきて、あっという間に葉っぱが青々と茂り、その勢いはさながらジャックと豆の木のようで、楽しくなって8月には写真も撮った。そのときの様子。
さすが実生で根を伸ばして自然の荒波をサバイブしてきた選りすぐりの強い苗だ。知らない場所に移植されてもへこたれない野生児のような逞しさに感心していた。
ところが秋を過ぎた頃だろうか、地面のほうから紅葉するというより茶色に枯れ始めて、伸ばした枝の根本からポトリと下に落ちているのを見て、あれ?燃え尽きたかな、大丈夫かな?と思っていたのもつかの間、あっという間に棒になった。

落葉してホウキになれば広葉樹の自然な姿として理解できるけれど、枝ごと落ちて棒になるってどういうことだろう。
材木として扱うクルミであれば慣れたもので、刃物をあてている時の感触や独特の香りで目をつぶっていても判別できるほどだが、いざ立木となるとさっぱりわからない。それが一年の四季を通してどんな姿に変化していき、またどんな動きをしながらゆっくり成長していくのか、こればっかりは時間をかけて見届けていくしかないようだ。
そしてまた材木として再びクルミを手にした時には、今までとは違う別の視点が得られそうな気もする。

どうやらてっきり枝だと思い込んでいたのは、実は枝ではなく、葉っぱの一部である葉柄(ようへい)だったかもしれない。
だとしたら、地面から突き出ている棒のような細い幹は、果たして何と呼べばいいのだろうか。