毎日暑いし、せっかくお盆休みなんだから1日くらいどこか気晴らしにでも行こうと思い立ち、以前から気になっていた霞ヶ浦にある予科練平和記念館に行ってきた。
かつての戦争にふれる場所だけに、ひょっとしたら旭日旗に軍服のコスプレした振り切った人などいるかなと思ったけれど、少なくとも服装からはそうだとわかる人はおらず、夏休みとあってか子供連れの家族が多かった。
予科練とは旧海軍の飛行機乗りを養成する訓練所の略称で、志願した少年の中でも知力、体力、適正に優れたものだけが入ることを許される特別な場所。名前だけは知っているものの、それがどんな内容であったかはいざ知らず、展示内容を詳しく見てみると、厳しい規律の生活とスパルタンな訓練にくらくらと目眩がしてくる。大きく引き伸ばした土門拳の白黒写真をみるだけでも価値があり、選りすぐられたエリート軍国少年達の純粋な姿に焦点を合わせた展示内容だろうか、台湾や朝鮮出身の予科練生のことも紹介している。よく語られる海軍精神注入棒なるケツバットや暴力が支配するネガティブ要素は皆無だった。
展示内容も戦局が悪化していくように段々と重く暗くなってゆき、両親や姉妹に宛てた手紙や遺書も多くなり、全部読むだけでもうヘトヘトになる。最後の神風特別攻撃隊のくだりは照明も含めドラマチックに演出し過ぎていただろうか、わかりやすく美化して描いている気がして、逃げるように展示室を後にしてしまった。これをきっかけにして、何故そんなことになってしまったのか?という疑問が残りますよね、どこの誰が発案して非情な命令を下していたのか、大西瀧治郎?だれですかそれ、猪口力平?知りません、そもそも何故戦争なんて始めてしまったのか、みなさん各自で歴史を深堀りして学んで下さい、仕方なかったでは済まされないことがザクザクと出てきます、でも過ちは繰り返しませぬから、ということだろうか。
果たしてあの時代に一体何があったのか。
戦死した祖父のことを聞ける人がいなくなっている自分にとっても、自ら主体的に学ぶしかないので、折に触れて国内外の戦跡や慰霊・紹介施設に行きたいという気持ちがだんだん大きくなってきた。

記念館のすぐ隣は陸上自衛隊の駐屯地になっていて、敷地内に足を踏み入れるなり緑の迷彩服に真っ黒な軍靴の若い隊員が待ち構えていたように近づいてきて、ピストル型の温度計で手首を検温してもらい、雄翔館(無料)に入る。
こちらは隣の記念館の洗練された展示とは打って変わって、戦没者のご遺族の方々から寄贈された貴重な品物の数々と、消息のわかる亡くなった隊員一人一人をパネルにまとめて、現在が平和であることの重さを伝える内容だった。ガラスケースに入った戦闘機や爆撃機のプラモデルもなかなか見応えがある。
たくさんの若い命が太平洋や南の島々に、飛行機と共に散っていったのだ。
別記
このワードプレスブログの投稿仕様が完全に変更されて、写真が小さくなるわ、文章がパラグラフだと思っていたら、なぜかキャプションになったり、慣れないところがあります。自分で勝手にテーマを変えて今のところグチャグチャになっていますが、あしからず。