• 国際文学館に行ってみた、後編

    村上さんの書斎がある地下1階から眺めるポケットパーク。
    いわゆるサンクンガーデンだ。真ん中のシンボルツリーは、、、

    里の桜だからサトザクラ?

    お手洗いの案内サイン。

    1階に上がってエントランスに戻るとジャズが流れるオーディオルーム。

    ハンス・ウェグナー、GE-290。
    座面の構造がそのまま後脚になるかたちを初めて見たときは目からウロコだった。

    ボーエ・モーエセン。

    ハンス・ウェグナー、ベッドにもなるソファーはデイベッド。
    全体のボリューム感と比べると脚部がいかにも貧弱すぎる気がするけれど、おそらく釈迦に説法だろうか。

    こちらもハンス・ウェグナー。
    なかなかお目にかかれない貴重な家具はかごの部分が引き出しになっている、ソーイング用のテーブル。

    吹き抜け階段の反対側はギャラリーラウンジ。

    この椅子もおもしろい。
    構造の仕掛けを座面で覆い被すようなマシンメイドのかたち。
    西洋人向けか、あるいは標準的な座面高さのせいで僕のような脚の短い人間には太ももの裏が圧迫されてキツい。

    羊男とスワンチェア。

    2階はラボと展示室、音声を収録・配信できそうなスタジオもある。

    床はゆったりとした幅のレッドオーク白太あり。
    全フロアの床を張るだけでも大変な仕事です。

    イタリア、アルペール社、Juno02。屋外のテラスでも使えるスタッキングチェア。素材の特性を生かしたカッコいいかたちだけれど、持ち上げてみると重さにびっくりする。無垢のポリだから7〜8キロはあるだろうか、地球環境を考えて脱プラが叫ばれる近年の風潮において何の悪びれもなく堂々とプラスチックの新作を発表する揺るぎない信念は、人間の欲望や強さを感じる。

    ガラス扉に取り付けられた引き手は珍しいオリーブ材。

    結局、一冊の本すら手に取ることもなく、文学館をあとにする。
    置かれた家具や空間を見ることに忙しくて、とても読書どころではなかった。

    やはり感じるのは、早稲田の学生は恵まれている。
    こんなこと比較してもしょうがないし、オックスフォードの方がいいとかキリがないのはわかっているけれど、大学内の施設という共通の点において、自分の出身校をついつい引き合いに出して考えてしまう。休日ということもあってか、学生はほとんどいなかったことを差し引いたとしても、こんなにゆったりとした贅沢な場所が果たして我が母校にあっただろうか。
    美術だから全く別ジャンルの別分野とはいえ、同じ人間の尊厳というか何というか、、、。

    青々とした銀杏の木々。
    秋もいよいよ深まり、黄金色に輝くイチョウ並木の下を歩く若い学生たちを想像してみる。
    それぞの学生やそれぞれのOBにとって、仲間や友達、あるいは恋人と一緒に見たまばゆいキャンパスの景色が、青春の記憶の一部となって一人ひとりの心に刻まれていると思うと、なんだかとても穏やかな気持ちになってくる。

  • 国際文学館に行ってみた、前編

    何年か前に新聞で発表されたニュースを読んで以来、ずっと気になっていたのだが、ついに先日、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)に行ってきた。
    既存の建物をリノベーションしたのは建築家の隈研吾さんだ。
    今や売れ過ぎて売れ過ぎて関わっているプロジェクトの全貌すらご自身もきっと把握できていないほどの忙しさであるだろう。
    一方、村上さんといえば、もうかれこれ高校時代からずっと読んでいる唯一といってもいい作家で、新刊が発売されたら迷わず本を購入する優良読者の一人になっている。
    ただ最近ではどうだろう、長編小説ではおなじみのセックス描写のたびに、男性作者であるおじさん(村上さん)本人が思い描く、年甲斐もないスケベな妄想を読まされている気がして、以前と比べたら少し距離があるだろうか。
    近頃やっているラジオ番組も全然聞いていない。

    とまあ、そんな感じではあるけれど、事前に予約して先日行ってきました。
    午前10時10分の開館前に並んでいたのは合計4人で、ひとりは欧米系の背の高い女性、残る二人は韓国の方だろうか共に女性だった。

    入り口正面を飾るゲートは、ドラえもんのガリバートンネルみたいな形状になっている。素材はプラスチックだけれど、屋外での耐用年数は果たしてどれほどのものだろうか。

    建物前の植栽が大いに繁茂して手入れが大変そう。
    ヤブラン(かなり株多め)、つわぶき、コムラサキ、ツツジ、馬酔木、ユキヤナギ、アオキ、ハツユキカズラ、その他植物に詳しい方に聞かないとわからないもの多数。
    いずれも背の低い植物や低木を選んで植えてあり、大学敷地内にある威厳たっぷりの巨大なヒマラヤスギやイチョウ並木の下を歩いてくると、どこか個人的なスケールに感じられて好印象だ。

    まず館内に入って一番に感じるのは、随所に木材がふんだんに使われていて、公開されているの3つのフロアにおいては、とりわけ置いてある家具が良かった。

    地下一階はカフェスペースになっていて、デンマークなどの北欧スタイルのものに座ってお茶を飲みながら読書ができる。
    樹種もチーク材が多いだろうか、この有名な椅子もチークだ。

    こちらはオーラ・ニールセン、ペーター・ヴィッツのAXテーブル。
    大胆なブックマッチの天板ゆえの、真ん中にはワイルドすぎる白太。

    ハンス・ウェグナー、FH-4103。丸テーブルにスッキリと収まるように三本足の椅子。

    このカフェの隣には村上さんの書斎を再現した部屋があるのだが、限りなく忠実にコピーしたものではなく、あくまで雰囲気を感じてもらう趣旨のものであると思うが、この部屋の真ん中に置かれてある無骨なテーブルの樹種がわからない。

    この書斎机の天板も同様だ。
    強烈な板目の表情になってしまうのは、山から切り出した丸太が富士山のような末広がりの形状だったからで、平らに板を製材した際は切り株に近い元口部分がまさにこの木目になる典型的な例。パッと見は杉の巨木だが杉ではない。ニレっぽい気もするし、なんだろう。おそらくセンではないかと予想するのだが、色味がちょっと違う。
    しかしそこは天然素材、こんな色味であっても驚かない。

    机の上はスッキリとしている。
    手前からヤコブ ・イェンセンのスタイリッシュな電話。
    新しいアイマック。
    ミケーレ・デ・ルッキのロングセラー、トロメオ。
    我らがエプソン、カラリオ。

    そして何故か書斎の床材はケヤキだ。
    着色しているとはいえ、急に和のテイストになっている気がする。
    それにしてもこの色味、この木味で、なにか適当な材がなかったものか、ケヤキじゃなくて他に何があるだろうかと、ついつい考えてしまう。

    和田誠さんのイラスト。
    ジャズの本でもたくさん共作されていました。

    海辺のカフカだったか、こんなイメージの表紙があったような、なかったような。
    ちなみに、書籍「普請の顛末―デザイン史家と建築家の家づくり」柏木博・中村好文著という本のなかで、村上さんの書斎があるご自宅を設計された佐藤重徳さんのことについて少し触れられている。
    小説とは全く関係のない下世話な関心はいつまでたっても尽きない。

  • 茨城に行った

    毎日暑いし、せっかくお盆休みなんだから1日くらいどこか気晴らしにでも行こうと思い立ち、以前から気になっていた霞ヶ浦にある予科練平和記念館に行ってきた。

    かつての戦争にふれる場所だけに、ひょっとしたら旭日旗に軍服のコスプレした振り切った人などいるかなと思ったけれど、少なくとも服装からはそうだとわかる人はおらず、夏休みとあってか子供連れの家族が多かった。

    予科練とは旧海軍の飛行機乗りを養成する訓練所の略称で、志願した少年の中でも知力、体力、適正に優れたものだけが入ることを許される特別な場所。名前だけは知っているものの、それがどんな内容であったかはいざ知らず、展示内容を詳しく見てみると、厳しい規律の生活とスパルタンな訓練にくらくらと目眩がしてくる。大きく引き伸ばした土門拳の白黒写真をみるだけでも価値があり、選りすぐられたエリート軍国少年達の純粋な姿に焦点を合わせた展示内容だろうか、台湾や朝鮮出身の予科練生のことも紹介している。よく語られる海軍精神注入棒なるケツバットや暴力が支配するネガティブ要素は皆無だった。

    展示内容も戦局が悪化していくように段々と重く暗くなってゆき、両親や姉妹に宛てた手紙や遺書も多くなり、全部読むだけでもうヘトヘトになる。最後の神風特別攻撃隊のくだりは照明も含めドラマチックに演出し過ぎていただろうか、わかりやすく美化して描いている気がして、逃げるように展示室を後にしてしまった。これをきっかけにして、何故そんなことになってしまったのか?という疑問が残りますよね、どこの誰が発案して非情な命令を下していたのか、大西瀧治郎?だれですかそれ、猪口力平?知りません、そもそも何故戦争なんて始めてしまったのか、みなさん各自で歴史を深堀りして学んで下さい、仕方なかったでは済まされないことがザクザクと出てきます、でも過ちは繰り返しませぬから、ということだろうか。
    果たしてあの時代に一体何があったのか。
    戦死した祖父のことを聞ける人がいなくなっている自分にとっても、自ら主体的に学ぶしかないので、折に触れて国内外の戦跡や慰霊・紹介施設に行きたいという気持ちがだんだん大きくなってきた。


    左には人間魚雷「回天」のレプリカ。全長15mと近くで見ると巨大だ


    記念館のすぐ隣は陸上自衛隊の駐屯地になっていて、敷地内に足を踏み入れるなり緑の迷彩服に真っ黒な軍靴の若い隊員が待ち構えていたように近づいてきて、ピストル型の温度計で手首を検温してもらい、雄翔館(無料)に入る。

    こちらは隣の記念館の洗練された展示とは打って変わって、戦没者のご遺族の方々から寄贈された貴重な品物の数々と、消息のわかる亡くなった隊員一人一人をパネルにまとめて、現在が平和であることの重さを伝える内容だった。ガラスケースに入った戦闘機や爆撃機のプラモデルもなかなか見応えがある。
    たくさんの若い命が太平洋や南の島々に、飛行機と共に散っていったのだ。


    別記
    このワードプレスブログの投稿仕様が完全に変更されて、写真が小さくなるわ、文章がパラグラフだと思っていたら、なぜかキャプションになったり、慣れないところがあります。自分で勝手にテーマを変えて今のところグチャグチャになっていますが、あしからず。

  • ひたすらルーター仕事


    制作過程をだいぶ飛ばし、ひととおり組み立てを終えて裏板とフレームの内側加工まで済んだところ。

    いつだったか自作した曲線用の罫引き。
    内アール、外アール兼用と欲張ったせいか、無骨さは否めない。

    色の濃い材料を扱う場合、普通の鉛筆では墨線が見えないことが多く、白の硬質色鉛筆を好んで使っていたのだが、しかし、、、

    この三菱鉛筆7700、なんと赤色以外2021年に原材料調達の問題を理由に生産中止。
    当たり前にあって愛用していたものがいつの間にやらなくなっていたので、何か代替えできそうなものをいろいろ調べてみると、あの白鳥マークのスタビロが「平らなものであれば何にでも書ける。」のふれこみでタフな色えんぴつを力強く販売していた。さすがドイツという印象だ。
    早速注文して試しに使ってみようとしたものの、ちょっと待てよ。
    鉛筆などという文化の底支えをする道具を作れなくなっているこの状況って、一体何ごとだろうか。わざわざ外国製の硬い色鉛筆を使うことにどこか釈然としない部分もないことはないが、しかし思い返してみれば、自分はユニよりずっとステッドラーだった。
    まあとにかく、何も考えずに早くスタビロを買ってみよう。

    と、いうわけで、
    くり抜いたフレームの内側をならい型にして、5mmオフセットベアリングをセットして、段欠き加工。

    カタチがかたちだけに、木の繊維が断ち切れて木口状態になっている継ぎ手箇所が機械加工における一番の危険ポイントで、上コロビットの一発加工では危険すぎることもあり、何度かに分けてトリマーで少しづつ落として最終加工に移った。ちょうど雇いの3枚で組んだような仕口であることも手伝ってか、いつもより神経をつかった。

    内側の加工が出来上がったら、こんどは一番最初に作ったMDF型を基準に、フレームの外側を加工する型を制作。
    ハンドルーターの左の取っ手はクランプの邪魔になることが多く、いつだったかイライラして何の躊躇もなく捨てた。

    こんどは40mm テンプレートに3/8″スリーエイス 8mm軸ビットで仕上げ。

    その後ルーターテーブルに移り、下コロビットを取り付けてフレームの外側を加工。
    エキゾチックな香りのする樹脂を多く含んだ木は、削りクズすら木材らしからぬ表情になるのは、その油分ゆえか。

    先ほど切り抜いたコンパネの型を下にして、ビットに取り付けてあるベアリングに沿わせ外側を仕上げる。内側の段欠き加工同様、繊維が切れている継ぎ手箇所は要注意。

    加工前と、加工後。
    こうしてみると、自分のやっていることは製材された板の状態からさらに半分近くの材料をゴミとして捨てる仕事なんだとつくづく感じる。

  • 楕円額縁の制作

    まずはお客さんから預かった楕円形のアクリル板を原型に、6mm MDF材で1mmオフセットした少し大きめのコピー原型を制作。
    このMDF型が後々の加工の際に一番重要な基準になる。

    とにかく抜き型がたくさん必要になってくるので、ベニヤ板を接着剤で積層させて任意の厚みにする。
    プレスの際にズレないように仮止めするマスキングテープ。

    2〜3時間くらいプレス。
    ベニヤづくりする際には欠かせない、大活躍の手作り木製プレス機だ。

    切り抜いたMDFを原型に完成フレームの内枠を加工するための抜き型加工その1。

    ハンドルーターに取り付けるテンプレートの数も限りがあるので、何回かに分けて加工。

    同じような絵ばかりですが、先ほど切り抜いた型からさらに小さい型をつくる。
    抜き型その2。

    ルーターが転んだらおしまいなので、転ばないように真ん中に島をつくる。

    ルーターに取り付けるテンプレットガイド径とビット径の組み合わせで、型板に対して何ミリカットするのかを決める。

    手持ちのものは40、30、27、20、16、12、10の7種類。
    マキタの小型ルーターは12ミリの一種類しか取り付けられないのはなんとも寂しい話だけれど、これらに新しいビットと研磨して寸法が変わったビットの組み合わせで加工する。

    これでフレームの内枠を加工する型板がようやく完成。
    アクリル板の原型からここまでたどり着くまでひたすらルーター仕事だ。

    本番の無垢材を一発勝負するのはあまりにも怖すぎるので、12ミリのコンパネで試し加工。
    先ほどと同様にルーターが転ぶと今までの仕事が水の泡なので、真ん中にならい型と同じ厚みの島をビス留めして安心安全の加工を心がける。

    こんどはルーターテーブルに取り付けた上コロビットで先ほど楕円に切り抜いたコンパネの段欠き加工。

    これでようやく預かったアクリル板が嵌め込める抜き型が完成した状態になる。

  • 新年度とは全く関係ないですが、

    春になったからだろうか、工房すぐ裏の用水路にオオバンが頻繁に来るようになり、鳴き声を聞くだけで「ああ、いるな、、、」と、わかるようになってきた。

    見た目は真っ黒でカラスみたいな水鳥だし、別にこれといって特別な思い入れなど全くないのだけれど、変な偶然がたまたま重なり、今まで存在すら知らなかった水鳥と一緒に生きてゆくようになった。

    脅かすように近づいてゆくと、水面を駆けてゆくように逃げていくので、そーっと近づいてよく見ると、コンクリート壁に生えている苔や藻をくちばしの先で突いて食べている。
    自然の水辺に生えている水草を食べることを考えると、ちょっと気の毒になってくる光景だ。

    音もなくスイーっと壁に近づいて、、、

    無心につっつく。

    武士は食わねど高楊枝といわんばかりの、いたって涼しい顔でまた次のターゲットに向かう。
    たくましいよね。

    10年以上前に盆栽で頂いたカエデも、気が付けば見上げるような樹高になり、今年も黄色い花が咲き始めました。

  • 平かんな仕込んだ

    左から寸二、寸四、二寸の平かんな。
    早くやらなきゃと思いながら、長い間放っておいたものをお正月にまとめて仕上げた。
    かんなの仕込みは毎回毎回やるたびに勉強ばかりで、次はこうしよう、次はああしようと学びが多く、完璧に100パーセント自分が納得できるものはなかなかできない。

    「梅弘」関西の問屋銘のかんな。
    ひょうたんの上のアマビエみたいな刻印は何だろう?


    中古でありがちな、玄能で叩かれすぎて鉋身の頭がめくれていることが多いのですが、これも例外ではなかったので全部削ってスッキリさせた。

    「信義」のぶよし?聞いたことない。
    これは頭も側もめくれてベロベロだったので、原形をとどめないくらいグラインダーで成形した。
    裏刃は柔らかく寄せたいので、なるべく耳は立てたくないのですが、すったもんだの挙句こんなカタチになってしまった。嗚呼、、、。

    「三代目千代鶴 延国」
    硬い玄能で裏刃を追い込んだ痕が細かく残っている。
    これはうまく仕込めた。

    二寸の台は集成材にした。寸八用の白樫しか持っていなかったので、幅が足りずフチ張りをするように側を足した。芯をよく見ると左側が荒い木目で、右側が目の詰んだもの。
    素材との対話が足りていないのか、それとも良いものの完成イメージが足りていないのか、そのどちらかだろう。芯だからといって侮ることなかれ、交互に混ぜればよかった。

    寸四のものは上下に薄板をサンドイッチしただけ。
    接着剤分の重さが加わるので集成材の台は使いづらいだろうと思っていたけれど、あんがい重さ自体は気にならず、それよりも抜群の安定感で下端の調整が楽になるメリットの方が大きい。

    寸二は白樫の無垢材だ。追い柾。
    木材としては板目と言うのに、かんな台になった途端に柾目と呼ばれる不思議。
    道具として本調子になるまでには使いながら微調整しながら、もう少し時間がかかる。

  • 身近にあったクローン

    近所のホームセンターでひとしきり悩んだ挙句、2度目の往訪で結局買ってしまった。
    冬の時期になるとポット苗が店先に並んだり、庭に地植えした株も活動を始めて新芽が出てきたり、クリスマスローズに対する関心がなぜか再熱して今シーズンもやってしまった。思い切って購入したのはブラックパールと命名されたメリクロン苗だ。
    手のひらに乗るほどの小さなポット苗にも関わらず、なんと657円の高値が付けられており、いつもだったら298円の苗が半額引きになって手が伸びるくらいだから、なかなかの決断だった。

    丈夫で手間がかからないし、何といっても霜に強い植物なのがすっかり気に入って、4年前には専門書まで買った。
    本の中で掲載されている写真も豊富でおまけにキレイ、お花の種類から詳しい育て方、そもそもの歴史から品種改良を始めたイギリス人女性育種家の話まで、もうお腹いっぱいの充実した内容になっていて、時々手に取って眺めたりしている。
    その中で1ページほど割かれているのがメリクロン(成長点培養)と呼ばれる増殖方法だ。短期間で効率よく大量に増やすバイオテクノロジーのクローン技術のことだが、本書では決して「クローン」という不穏な言葉は使っていない。しかし、要するにクローンだ。ウイルス性の病気にも強く、審美的な面からも重宝される個体だけを人が厳選して全く同じ品質の優良株を大量に増やすことが可能で、お花の安定供給と普及に大きく貢献している技術とのこと。
    そうか、園芸の世界ではすでにそんなことが公然と行われていて、身近な場所にヒタヒタと忍び寄ってきていることにも驚きだが、なにより人間の欲深さを覗き見るようで恐ろしくもある。
    これが観賞用の小さな植物ならまだ許せる範囲なのかもしれないが、それが食用の野菜や果物、もっと踏み込んで魚や動物、例えばウイルスのせいで大量処分されるような鶏に適用されたら心痛むニュースもなくなるのだろうか、あるいは肉質も良く病気にも強い優良豚のクローン、、、。
    試しに一度メリクロンなるものを買ってみようと思った。

    もう一つ本の中で気づいたのが、古い葉っぱは切った方がよいとさまざまな場面で書かれていたことだった。確かに掲載されている写真のほとんどはお花が咲いている茎だけを残して、わさわさと茂る周辺の葉っぱを全部切り落として、スッキリとした株立ちの姿で咲いているものばかりだ。
    そうか、古い葉っぱは切った方がいいのかと認識を新たにして、早速実践してみた結果、2021年冬の姿がこれだ。

    あまりにも寂しすぎて哀れになってくるのだが、8号鉢に植え替えているので、3年目か4年目の株だろうか、春先に新芽がふたつしか出てこず、一本は風で吹き飛ばされて、残った一本は葉っぱが4枚の風前のともしびで、よく生きているなぁとさえ思う。
    気付け薬か気休めか、固形化学肥料をドラッグのように施肥して、がんばれ頑張れと見守るしかない状態だが、この株はまだマシな方で、せっかく黒っぽい色の花が咲いて喜んでいた株に至っては、花が咲き終り、やがて花芽も枯れ、地上部分には茎一枚すら残っておらず、新芽が出るかなと観察していたものの結局何の変化も起きないまま冬を迎えてしまい、おかしいなと思い植え替えしようと鉢をひっくり返すと、根っこすら残っていなかった。
    本を監修したエキスパートの方々を非難するつもりは全くないが、結果的に角を矯めて牛を殺すようなことになってしまい、ショックも大きかった。多少見栄えが良くなくても古い葉っぱが青いうちは、花が咲く茎ばかり残して古葉を全部切ったりせずに、それこそ適当に放っておかなくてはいけなかったのだ。

    もったいなかったなぁ、、、あの黒紫の花好きだったな。一重咲きの下向きで咲いている姿、好きだったなぁ。白とか薄ピンクのぼんやりした色の花ばかりが咲く中で、いいアクセントになっていたよなぁ、と盛大な心残りがあった。
    そんな傷心状態でたまたまホームセンターの店先で出会ってしまった禁断のメリクロン苗。種から交配した自然な実生苗とは異なる方法で培養されたものを実際に購入するというアクションを起こすことで、一体どんな因果がもたらされるのか、いまのところ全くわからない。ただ、ペットロスに新しいペットを迎え入れるように、ラベルに印刷された花がほぼ確実に咲くというクローン植物を手に入れたという顛末。
    順調にいけば再来年の春ごろでしょうか、花が咲くだけが植物ではないけれど、はたして謳い文句どおりのお花がどんな様子になるのか、気になるところではある。

  • 動画撮影、その二

    Photo by @pon_pokopoko 

    短い撮影時間の中では出来ることなど僅かしかなく、とりわけ木工という仕事は使う道具をあれこれ用意して、治具もセットして、試し加工も済ませ、緊張の1工程をやって午前中はおしまいなんてよくある事だ。制作中のものが完成した状態まではお見せできないけれど、支障がない程度に色々な工程を順番に考えていたのだが、一つ手落ちがあった。
    ああそうだ、、、仕事も大事だけれど身なりも人並みに整えるべく床屋に行っておこうと思いつき、いつものように予約のための電話をすると、なんと二週間先までいっぱいだと言う。
    困ったな、、、予約なしの知らない床屋さんに飛び込んで行って1時間近くも待たされるような時間的余裕もないし、かといって町に溢れるキラキラ美容院に行ってファッション誌を広げた女性のとなりで髪の毛を切ってもらうなんてソフトな拷問に等しい。以前は食品スーパーの隣に併設されていた入り口は一つだけれど、手前が床屋、その奥が美容室という不思議な間取りの床屋さんに通っていたのだが、人手不足なのかシャンプーだけ奥の美容でしてもらったことが一度あり、思いのほか抵抗を感じた。
    結局、まあいいかと諦めたのだが、これがよくなかった。
    後日編集を終えて出来上がってきた映像を見て思わずのけぞってしまったのだが、自分がつくった「もの」を人にまじまじと見られることには慣れてきたけれど、自分そのものが人から見られる対象になるなんて今まで考えたことすらなかった。

    そして、当日は暑かった。
    梅雨明け10日の快晴で、それまでのジメジメとした空を一掃したような真夏日であった。
    撮影自体は丸1日で、注文を受けていた小ぶりのダイニングテーブルの制作風景からスタートし、天板のハギ合わせ作業を始めたのだが、なぜかいつもと様子が違う。
    何か変だなぁ、何かがおかしいなぁ、、と感じながらカメラを向けられた状態で仕事を進めていくのだが、あとから思い返すといろいろなチグハグがあった。
    たとえば、罫書きゲージを何故か逆手で持って墨付けしていたり、硬いナラの木を自動鉋で製材して、鋭利になった木端でまさかの指を切って流血したり、本当に暑い1日だったせいか、かんな台の下端が盛大に狂って今思い返してもちょっと落ち込んでくる削り具合だったり、とにかく時間内にあれをしなくては、これをしなくてはと気持ちも焦って、と同時にしっくりこない感覚を引きずりながら、かといって立ち止まって修正するわけにもいかず、終始あたふたしていた。
    そんな調子で汗だくのまま午前中がすっかり過ぎ、お昼休憩を挟んでその後は質問形式の対話に移ったのだが、これがまた事前打ち合わせのないぶっつけ本番の鋭く核心に切り込んでくる質問で、どうにも答えに窮してしまい、しどろもどろの非常に歯切れの悪いものになってしまった。
    アップル社のかつての大将、スティーブ・ジョブズは新製品のプレゼンテーションのために、事前に自宅で何度も何度も繰り返し練習していたことをある伝記で読んだ。あらかじめ質問内容を聞いておけば、かっこいい理想的な答えを夜な夜な考え推敲し、それこそ何度も何度も声に出して練習して、本番は淀みなくスムーズに答えられたかもしれない。
    しかし、現実はあまりにも残酷で、普段思っていること、感じていることをわかりやすく言語化できずに、何の問題意識もなくぼんやりと目の前の仕事をこなしているだけの今の現状を突きつけられたようで、あとから一人で落ち込んでしまった。自分の仕事の強みや理念、あるいは大きなビジョンや社会に対しての働きかけ、それに将来の夢、何一つとしてまともに答えられなかったし、ひょっとしたら答えられないのではなく、もともと自分の中にこれっぽちも存在すらしないのではないのかとさえ思えた。

    Photo by @pon_pokopoko 


    木工は刃物を扱う仕事だけに、誰かが見ているからと張り切って普段やらないようなことをして、最悪の場合は取り返しのつかない事になったりするのだが(そうならなかっただけでもマシと言えるが)自分は作業中にじっと人に見られていたり、時間ばかり気にして慌てていると、歯車がカラカラと虚しく空回りするような状態になると改めて感じた。なぜいつも通りじっくり一人で仕事している時のように鷹揚に構えていられないのか。
    でもおそらくきっと、こういうのは性格というよりも何よりも、手を動かして何かものをつくりだす人の成熟度というか凄みというか、仕事にとことん向き合うプロ意識の欠如の表れというか、あるいは単にいろんな場数や経験が足りないだけのアマちゃんの言い訳ではないのだろうかとも思っている。

    近いうちに編集されたムービーをアップロードしてもらう予定です。
    本家ホームページの方でも紹介できればと考えています。

  • 動画撮影、その一

    つい先日、不思議なご縁があって自分の仕事の様子を動画撮影していただいた。
    ユーチューブである。
    制作風景とインタビューを撮ってもらい、それを持ち帰って後日編集していただき、完成したものをのちのち公開する予定で、果たしてどんなかたちのものになるのか、気分はすっかり俎板の上のコイ状態である。
    本当のことを言うと、お話を頂いてからあれやこれやとあてもなくいろいろ考えて、普段取りかかっている仕事の段取りも毎回ギリギリで余裕がなく、ただ時間だけが過ぎてゆき、結局のところ、自分の宣伝や格好つけたセルフブランディングよりも何よりも、撮影してくださる方のキャリアアップや夢の実現に微力ながら協力できればと思い至り、恥ずかしいカッコ悪いを全部かなぐり捨てて、素っ裸のふんどしすら脱ぎ捨てた気持ちで引き受けたところがある。至人は己なしの高みは果てしなく遠いのである。

    その後何回かメールでのやり取りがあり、いざ撮影となったら日にちは思いのほか急転直下で決まり、そうだよな、、、東京からわざわざ大型の三脚や重いケーブルやら照明やら、全部ひとくくりにまとめてせっかく工房まで来ていただくのだから、できる限りの準備をしよう、無駄足にならないように効率よく撮ってもらおう、と、あたふたと時間に追われたけれど、当日待ち合わせたJRの駅でお会いしてみれば、あれ?と思うほど身軽ないでたちで、テニスの試合に持っていくようなカバンひとつだけだった。
    まさか肩に担くようなテレビ局のカメラではないとぼんやり想像していたものの、その撮影機材のコンパクトさに驚き、工房に着いてやおらカバンから取り出したのはなんと、ソニーの小さなミラーレス一眼だった。
    へえと感心して聞くと、今はこちらの方が主流とのこと。時代は確実に変化しているのである。