• 納品のあとで

    以前だったら名古屋くらいまでは車で行って、お客様に家具を届けて夜中に帰ってきたこともあったけれど、今回は無理しないで一泊することにして、翌日は帰りがてら何処かぶらぶらしようと計画を立てる。
    というわけで、ここからは納品後のレポートです。

    せっかく名古屋まで行くのだから、一度は訪れたいと思っていた熱田神宮に行ってきた。三種の神器の一つ、あめのむらくものつるぎがあるとされている場所。
    右折の場所がわからりずらく、神社をぐるりと一周してから東門の近くにある第一駐車場に車をとめる。
    まずは境内の真ん中にある案内図を見てみる。

    案内図から望む東門。

    鳥居に向かって一礼している人はよく見かける。

    本宮へと続く参道には神社の歴史を学ぶことができるパネルがあった。QRコードを貼り付けてあるのはいかにも現代風。

    令和へとつづく23枚ぶんのパネルを歩きながら斜め読みするだけで、すでにヘトヘトになる。

    手水鉢と呼ぶには大きすぎる手水鉢。

    クスノキの御神木。
    弘法大師が植えたとされる推定樹齢1000年以上とか。

    〜だとされる、とか、〜だといわれる、とか、〜だと伝えられる、とか、ものごとを断定しないあいまいな解説が多いのは歴史がありすぎる神社だから仕方のないことではあるけれど、目の前にある樹木は間違いなく立派だ。

    しばらく歩いていくと、お祓いやご祈祷をする神楽殿。
    その手前、両脇にはただならぬ存在感の塀。

    一番印象に残ったのは、これだろうか。
    一見すると神社にはいさかか場違いな異物感すらある塀が本宮を囲っているのだが、近づいてよく見ると、土の質感と焼成した瓦のテクスチャーが今のものとは明らかに違う。

    なんと450年以上前の建造物、そもそも土ってそんなに長持ちするものなのか。
    現代のコンクリートとは比べ物にならない雰囲気を醸し出しているし、職人の手数(てかず)が堆積した密度も感じる。

    瓦の質感もいい。

    不届き者が壁をほじった跡だろうか、瓦に落書きしている輩もいる。
    それにしても、カビが生えたり苔が生えたりしないのだろうか。イタリアの石造りの教会などは足場を組んで外壁の掃除をしている現場をしょっちゅう見かけた気がするけれど、この信長塀にいたってはカラッと乾いている。

    星型の絵馬をよく見てみると、美少年、スノーマン、BTSなどの男性アイドルグループの願掛けが多数を占める。無事デビュー出来ますように!とか、ドームツアーが成功しますように!とか、いい席が取れますように!って一体何のこと?
    女子たちの推しエネルギーがぐいぐい絵馬から伝わってくる。

    いささか食傷気味になって、神様も大変だなぁとご苦労を気遣う気持ちになる。
    本宮の裏にある「こころの小径」。
    推しのライブチケットが願い叶わずにハズレて、身も心もボロボロになった女子たちに見えてきた。

    歴史のある場所だけに、ソテツもアルパカの首のような見たことのないカタチになっている。

    これもよく見かけた。
    樹皮に生える着生植物のような草だろうか。

    アオキの花も咲いていた。

    結婚式も行われていた。

    巨大すぎる灯籠もあった。

    いつまでたっても三種の神器のつるぎが見つからない。
    一縷の望みというわけではないが、500円を払って宝物館に入る。
    毎月展示替えしているそうだが、信長が奉納したといわれる「蜘蛛切丸」という刀は見た。

    歩き疲れて駐車場まで戻ってきた。
    だいたい初めからわかっていたことだけれど、有史以前の神話の時代から連綿と続いているとされる「つるぎ」なんて、おいそれと一般公開などしないし、しない方がいい。
    万が一それらしいものが仮に実在したとしても、本当に大蛇のしっぽかどうかはもとより、現代科学のメスを入れるがごとくつるぎの組成を調べたりするのは野暮の極みである。そんなものは鬱蒼とした仄暗い場所に重い蓋でもしておけばいい言わぬが花。
    実際に神社の中に身を置いて歩いてみれば、あぁ…ここは神様を意識せざるをえない宗教施設なんだとつくづく感じるし、長らくニッポン人がずっと語り継ぎ大事に大事に守ってきた神話や信仰の対象は、否定も肯定もせず静けさの中に気配だけあればそれでいい。

    帰りの富士川サービスエリア。
    この山もまた信仰の対象でしょうか。

  • 仮組みができるまで

    観音開きの扉を取り付けるため、丁番の段欠き加工。
    トリマーを使うならい加工用の型を固定している。

    框組みの細部。
    ねじれをさらに抑える小根ホゾを考えていたけれど、木口が目に触れる箇所になるためすっきりと見える平ホゾにした。
    縦の溝は鏡板用の小穴だが、加工の最後を鑿で四角にするのは地味に時間のかかる作業。

    こちらも同様。
    小穴の最後を一発で四角にできる機械や刃物があれば、仕事はだいぶ減る。

    こんどは雇いザネ加工。
    刃先をより明るく照らすLEDライトは必須道具になってきている。

    組み立て式のベッドを仮組みしてみる。
    ヘッドボード内部とマットレス下に収納スペースを設けている。
    まだまだやることが沢山あるけれど、かたちが見えてくるとひとまずホッとする。


  • 後戻りもやり直しもできない接着をする

    薄く尖らせた鉛筆の墨線を見ながら、鋸で慎重に組み手を刻んでいく。
    勢い余ってオーバーランすることなど許されないので、念のため鋸目がどこまで進んだのかひと目でわかる当て木をしている。

    その後は角のみという機械で大まかに荒堀りする。

    ハンドカットならではのレイアウト、端はより細かく、真ん中はすこしゆったり。
    無垢の板は端から反ってくるので、組み手を細かくすれば接着面積もより多くなり、強固な接合になる。木の動きと特性を考慮した自然なレイアウトだ。
    機械では落としきれなかった隅はしのぎ鑿で仕上げていく。

    仮組みの段階では鉛筆であたりをつけながら微調整する。
    堅すぎず、緩すぎず、何度も何度も組み立て調子を確認しながら、少しずつ削っていく。鋭利になった角の部分は、組み立てるまで全く気が抜けない。

    春みたいな陽気もだんだん感じられてきて、水鳥のオオバン達もぼちぼち活動的になり鳴き声も賑やかになってきた。

    やかんに西日が差し込む。
    一日があっという間に過ぎてゆく。

    すっかり夜も更けて、仮組みを繰り返したのち接着の準備。
    緊張の瞬間だ。

    直角を確認してこの状態で一晩置いておく。
    ホゾ穴の中に溜まったボンドは一晩では乾いてくれない。

    そして翌日になり、再び仮組みをして、細かいところを直したり、クランプを用意したり、当て木を変更したり、気づいたら夜も更けて残りの天板を接着。
    はみ出したボンドを拭き取り、一息ついた頃は日付が変わっていることもしばしば。

  • 集成材のつくり、つづいて箱

    無垢材を用いて広い面をつくりたい時は、一般的には框組みと呼ばれる建具で使われるような構造にすることが多いでしょうか。
    今回は一枚の板のような雰囲気で、しかもほどんど伸縮しない自家製の集成材で広い面をつくります。

    まず細長く小割りにした材をハギ合わせて、集成材の芯をくつる。
    この状態ですでに反りやねじれを殺した寄せ板が出来上がります。注意点としては何回かに分けて少しずつ少しづつ接着していかないと、ボンドがヌルヌルと滑って必要な厚みが確保できずに、もう一度やり直しなんてことになりかねない。
    既成品のベニヤを芯に使わない選択は、手間も時間も膨大にかかってしまうが、間違いのないつくりになる。

    さらに積層させるための挽き割った薄板を用意し、繊維方向を縦横で直交させて、先程の芯に接着する準備をする。

    右が接着した芯材。ちょっと杢が出すぎているだろうか。左がさらに用意した最終的な仕上げ材。

    仕上げ、芯、仕上げの順で、縦、横、縦の5プライの集成材をつくる。
    表に見える挽き板は、木目を厳選してクセのない自然な見え方のものを用意。
    ベニヤづくりは単調だけれど楽しい仕事。

    つづいて箱の制作。
    あらかた板を製材したした状態。
    天板と側板の接合部分は45度の留め加工を計画しているため、せっかくだから木目がつながったきれいな仕上げを目指して長い板から部材を木取りしていく。

    油断していなくてもチェリーはすぐに焦げる。

    メジャーで測るとちょうど300ミリ。北米材だったら幅広のものはまだまだ潤沢にあるだろうか。
    天然素材を切り刻む者の心構えとして、材料を贅沢に使うのは有りだけれど、無駄に使うのはダメだと思っている。

  • そして棒になった

    今年の春に縁あってクルミの実生の苗をいただいて、はたして海辺の砂地で根付くかどうか不安があったものの、制作の過程で出るオガ屑を山にしてつくった自家製腐葉土をせっせと鋤き込んで、南側のカド地に植えた。
    突風で倒れないように支柱も立てて、夜な夜な闊歩する狸やハクビシンやウサちゃんに荒らされないように囲いもつくり、大木に育った姿を勝手に夢想して、いただき物であることも手伝ってか気にかけながら様子を見ていた。
    しばらくは何の変化もなく、短い梅雨が明け、暑い夏が始まったという頃、一体どういう訳だかドンドコ、ドンドコ新芽が伸びてきて、あっという間に葉っぱが青々と茂り、その勢いはさながらジャックと豆の木のようで、楽しくなって8月には写真も撮った。そのときの様子。
    さすが実生で根を伸ばして自然の荒波をサバイブしてきた選りすぐりの強い苗だ。知らない場所に移植されてもへこたれない野生児のような逞しさに感心していた。

    ところが秋を過ぎた頃だろうか、地面のほうから紅葉するというより茶色に枯れ始めて、伸ばした枝の根本からポトリと下に落ちているのを見て、あれ?燃え尽きたかな、大丈夫かな?と思っていたのもつかの間、あっという間に棒になった。

    落葉してホウキになれば広葉樹の自然な姿として理解できるけれど、枝ごと落ちて棒になるってどういうことだろう。
    材木として扱うクルミであれば慣れたもので、刃物をあてている時の感触や独特の香りで目をつぶっていても判別できるほどだが、いざ立木となるとさっぱりわからない。それが一年の四季を通してどんな姿に変化していき、またどんな動きをしながらゆっくり成長していくのか、こればっかりは時間をかけて見届けていくしかないようだ。
    そしてまた材木として再びクルミを手にした時には、今までとは違う別の視点が得られそうな気もする。

    どうやらてっきり枝だと思い込んでいたのは、実は枝ではなく、葉っぱの一部である葉柄(ようへい)だったかもしれない。
    だとしたら、地面から突き出ている棒のような細い幹は、果たして何と呼べばいいのだろうか。

  • 国際文学館に行ってみた、後編

    村上さんの書斎がある地下1階から眺めるポケットパーク。
    いわゆるサンクンガーデンだ。真ん中のシンボルツリーは、、、

    里の桜だからサトザクラ?

    お手洗いの案内サイン。

    1階に上がってエントランスに戻るとジャズが流れるオーディオルーム。

    ハンス・ウェグナー、GE-290。
    座面の構造がそのまま後脚になるかたちを初めて見たときは目からウロコだった。

    ボーエ・モーエセン。

    ハンス・ウェグナー、ベッドにもなるソファーはデイベッド。
    全体のボリューム感と比べると脚部がいかにも貧弱すぎる気がするけれど、おそらく釈迦に説法だろうか。

    こちらもハンス・ウェグナー。
    なかなかお目にかかれない貴重な家具はかごの部分が引き出しになっている、ソーイング用のテーブル。

    吹き抜け階段の反対側はギャラリーラウンジ。

    この椅子もおもしろい。
    構造の仕掛けを座面で覆い被すようなマシンメイドのかたち。
    西洋人向けか、あるいは標準的な座面高さのせいで僕のような脚の短い人間には太ももの裏が圧迫されてキツい。

    羊男とスワンチェア。

    2階はラボと展示室、音声を収録・配信できそうなスタジオもある。

    床はゆったりとした幅のレッドオーク白太あり。
    全フロアの床を張るだけでも大変な仕事です。

    イタリア、アルペール社、Juno02。屋外のテラスでも使えるスタッキングチェア。素材の特性を生かしたカッコいいかたちだけれど、持ち上げてみると重さにびっくりする。無垢のポリだから7〜8キロはあるだろうか、地球環境を考えて脱プラが叫ばれる近年の風潮において何の悪びれもなく堂々とプラスチックの新作を発表する揺るぎない信念は、人間の欲望や強さを感じる。

    ガラス扉に取り付けられた引き手は珍しいオリーブ材。

    結局、一冊の本すら手に取ることもなく、文学館をあとにする。
    置かれた家具や空間を見ることに忙しくて、とても読書どころではなかった。

    やはり感じるのは、早稲田の学生は恵まれている。
    こんなこと比較してもしょうがないし、オックスフォードの方がいいとかキリがないのはわかっているけれど、大学内の施設という共通の点において、自分の出身校をついつい引き合いに出して考えてしまう。休日ということもあってか、学生はほとんどいなかったことを差し引いたとしても、こんなにゆったりとした贅沢な場所が果たして我が母校にあっただろうか。
    美術だから全く別ジャンルの別分野とはいえ、同じ人間の尊厳というか何というか、、、。

    青々とした銀杏の木々。
    秋もいよいよ深まり、黄金色に輝くイチョウ並木の下を歩く若い学生たちを想像してみる。
    それぞの学生やそれぞれのOBにとって、仲間や友達、あるいは恋人と一緒に見たまばゆいキャンパスの景色が、青春の記憶の一部となって一人ひとりの心に刻まれていると思うと、なんだかとても穏やかな気持ちになってくる。

  • 国際文学館に行ってみた、前編

    何年か前に新聞で発表されたニュースを読んで以来、ずっと気になっていたのだが、ついに先日、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)に行ってきた。
    既存の建物をリノベーションしたのは建築家の隈研吾さんだ。
    今や売れ過ぎて売れ過ぎて関わっているプロジェクトの全貌すらご自身もきっと把握できていないほどの忙しさであるだろう。
    一方、村上さんといえば、もうかれこれ高校時代からずっと読んでいる唯一といってもいい作家で、新刊が発売されたら迷わず本を購入する優良読者の一人になっている。
    ただ最近ではどうだろう、長編小説ではおなじみのセックス描写のたびに、男性作者であるおじさん(村上さん)本人が思い描く、年甲斐もないスケベな妄想を読まされている気がして、以前と比べたら少し距離があるだろうか。
    近頃やっているラジオ番組も全然聞いていない。

    とまあ、そんな感じではあるけれど、事前に予約して先日行ってきました。
    午前10時10分の開館前に並んでいたのは合計4人で、ひとりは欧米系の背の高い女性、残る二人は韓国の方だろうか共に女性だった。

    入り口正面を飾るゲートは、ドラえもんのガリバートンネルみたいな形状になっている。素材はプラスチックだけれど、屋外での耐用年数は果たしてどれほどのものだろうか。

    建物前の植栽が大いに繁茂して手入れが大変そう。
    ヤブラン(かなり株多め)、つわぶき、コムラサキ、ツツジ、馬酔木、ユキヤナギ、アオキ、ハツユキカズラ、その他植物に詳しい方に聞かないとわからないもの多数。
    いずれも背の低い植物や低木を選んで植えてあり、大学敷地内にある威厳たっぷりの巨大なヒマラヤスギやイチョウ並木の下を歩いてくると、どこか個人的なスケールに感じられて好印象だ。

    まず館内に入って一番に感じるのは、随所に木材がふんだんに使われていて、公開されているの3つのフロアにおいては、とりわけ置いてある家具が良かった。

    地下一階はカフェスペースになっていて、デンマークなどの北欧スタイルのものに座ってお茶を飲みながら読書ができる。
    樹種もチーク材が多いだろうか、この有名な椅子もチークだ。

    こちらはオーラ・ニールセン、ペーター・ヴィッツのAXテーブル。
    大胆なブックマッチの天板ゆえの、真ん中にはワイルドすぎる白太。

    ハンス・ウェグナー、FH-4103。丸テーブルにスッキリと収まるように三本足の椅子。

    このカフェの隣には村上さんの書斎を再現した部屋があるのだが、限りなく忠実にコピーしたものではなく、あくまで雰囲気を感じてもらう趣旨のものであると思うが、この部屋の真ん中に置かれてある無骨なテーブルの樹種がわからない。

    この書斎机の天板も同様だ。
    強烈な板目の表情になってしまうのは、山から切り出した丸太が富士山のような末広がりの形状だったからで、平らに板を製材した際は切り株に近い元口部分がまさにこの木目になる典型的な例。パッと見は杉の巨木だが杉ではない。ニレっぽい気もするし、なんだろう。おそらくセンではないかと予想するのだが、色味がちょっと違う。
    しかしそこは天然素材、こんな色味であっても驚かない。

    机の上はスッキリとしている。
    手前からヤコブ ・イェンセンのスタイリッシュな電話。
    新しいアイマック。
    ミケーレ・デ・ルッキのロングセラー、トロメオ。
    我らがエプソン、カラリオ。

    そして何故か書斎の床材はケヤキだ。
    着色しているとはいえ、急に和のテイストになっている気がする。
    それにしてもこの色味、この木味で、なにか適当な材がなかったものか、ケヤキじゃなくて他に何があるだろうかと、ついつい考えてしまう。

    和田誠さんのイラスト。
    ジャズの本でもたくさん共作されていました。

    海辺のカフカだったか、こんなイメージの表紙があったような、なかったような。
    ちなみに、書籍「普請の顛末―デザイン史家と建築家の家づくり」柏木博・中村好文著という本のなかで、村上さんの書斎があるご自宅を設計された佐藤重徳さんのことについて少し触れられている。
    小説とは全く関係のない下世話な関心はいつまでたっても尽きない。

  • 茨城に行った

    毎日暑いし、せっかくお盆休みなんだから1日くらいどこか気晴らしにでも行こうと思い立ち、以前から気になっていた霞ヶ浦にある予科練平和記念館に行ってきた。

    かつての戦争にふれる場所だけに、ひょっとしたら旭日旗に軍服のコスプレした振り切った人などいるかなと思ったけれど、少なくとも服装からはそうだとわかる人はおらず、夏休みとあってか子供連れの家族が多かった。

    予科練とは旧海軍の飛行機乗りを養成する訓練所の略称で、志願した少年の中でも知力、体力、適正に優れたものだけが入ることを許される特別な場所。名前だけは知っているものの、それがどんな内容であったかはいざ知らず、展示内容を詳しく見てみると、厳しい規律の生活とスパルタンな訓練にくらくらと目眩がしてくる。大きく引き伸ばした土門拳の白黒写真をみるだけでも価値があり、選りすぐられたエリート軍国少年達の純粋な姿に焦点を合わせた展示内容だろうか、台湾や朝鮮出身の予科練生のことも紹介している。よく語られる海軍精神注入棒なるケツバットや暴力が支配するネガティブ要素は皆無だった。

    展示内容も戦局が悪化していくように段々と重く暗くなってゆき、両親や姉妹に宛てた手紙や遺書も多くなり、全部読むだけでもうヘトヘトになる。最後の神風特別攻撃隊のくだりは照明も含めドラマチックに演出し過ぎていただろうか、わかりやすく美化して描いている気がして、逃げるように展示室を後にしてしまった。これをきっかけにして、何故そんなことになってしまったのか?という疑問が残りますよね、どこの誰が発案して非情な命令を下していたのか、大西瀧治郎?だれですかそれ、猪口力平?知りません、そもそも何故戦争なんて始めてしまったのか、みなさん各自で歴史を深堀りして学んで下さい、仕方なかったでは済まされないことがザクザクと出てきます、でも過ちは繰り返しませぬから、ということだろうか。
    果たしてあの時代に一体何があったのか。
    戦死した祖父のことを聞ける人がいなくなっている自分にとっても、自ら主体的に学ぶしかないので、折に触れて国内外の戦跡や慰霊・紹介施設に行きたいという気持ちがだんだん大きくなってきた。


    左には人間魚雷「回天」のレプリカ。全長15mと近くで見ると巨大だ


    記念館のすぐ隣は陸上自衛隊の駐屯地になっていて、敷地内に足を踏み入れるなり緑の迷彩服に真っ黒な軍靴の若い隊員が待ち構えていたように近づいてきて、ピストル型の温度計で手首を検温してもらい、雄翔館(無料)に入る。

    こちらは隣の記念館の洗練された展示とは打って変わって、戦没者のご遺族の方々から寄贈された貴重な品物の数々と、消息のわかる亡くなった隊員一人一人をパネルにまとめて、現在が平和であることの重さを伝える内容だった。ガラスケースに入った戦闘機や爆撃機のプラモデルもなかなか見応えがある。
    たくさんの若い命が太平洋や南の島々に、飛行機と共に散っていったのだ。


    別記
    このワードプレスブログの投稿仕様が完全に変更されて、写真が小さくなるわ、文章がパラグラフだと思っていたら、なぜかキャプションになったり、慣れないところがあります。自分で勝手にテーマを変えて今のところグチャグチャになっていますが、あしからず。

  • ひたすらルーター仕事


    制作過程をだいぶ飛ばし、ひととおり組み立てを終えて裏板とフレームの内側加工まで済んだところ。

    いつだったか自作した曲線用の罫引き。
    内アール、外アール兼用と欲張ったせいか、無骨さは否めない。

    色の濃い材料を扱う場合、普通の鉛筆では墨線が見えないことが多く、白の硬質色鉛筆を好んで使っていたのだが、しかし、、、

    この三菱鉛筆7700、なんと赤色以外2021年に原材料調達の問題を理由に生産中止。
    当たり前にあって愛用していたものがいつの間にやらなくなっていたので、何か代替えできそうなものをいろいろ調べてみると、あの白鳥マークのスタビロが「平らなものであれば何にでも書ける。」のふれこみでタフな色えんぴつを力強く販売していた。さすがドイツという印象だ。
    早速注文して試しに使ってみようとしたものの、ちょっと待てよ。
    鉛筆などという文化の底支えをする道具を作れなくなっているこの状況って、一体何ごとだろうか。わざわざ外国製の硬い色鉛筆を使うことにどこか釈然としない部分もないことはないが、しかし思い返してみれば、自分はユニよりずっとステッドラーだった。
    まあとにかく、何も考えずに早くスタビロを買ってみよう。

    と、いうわけで、
    くり抜いたフレームの内側をならい型にして、5mmオフセットベアリングをセットして、段欠き加工。

    カタチがかたちだけに、木の繊維が断ち切れて木口状態になっている継ぎ手箇所が機械加工における一番の危険ポイントで、上コロビットの一発加工では危険すぎることもあり、何度かに分けてトリマーで少しづつ落として最終加工に移った。ちょうど雇いの3枚で組んだような仕口であることも手伝ってか、いつもより神経をつかった。

    内側の加工が出来上がったら、こんどは一番最初に作ったMDF型を基準に、フレームの外側を加工する型を制作。
    ハンドルーターの左の取っ手はクランプの邪魔になることが多く、いつだったかイライラして何の躊躇もなく捨てた。

    こんどは40mm テンプレートに3/8″スリーエイス 8mm軸ビットで仕上げ。

    その後ルーターテーブルに移り、下コロビットを取り付けてフレームの外側を加工。
    エキゾチックな香りのする樹脂を多く含んだ木は、削りクズすら木材らしからぬ表情になるのは、その油分ゆえか。

    先ほど切り抜いたコンパネの型を下にして、ビットに取り付けてあるベアリングに沿わせ外側を仕上げる。内側の段欠き加工同様、繊維が切れている継ぎ手箇所は要注意。

    加工前と、加工後。
    こうしてみると、自分のやっていることは製材された板の状態からさらに半分近くの材料をゴミとして捨てる仕事なんだとつくづく感じる。

  • 楕円額縁の制作

    まずはお客さんから預かった楕円形のアクリル板を原型に、6mm MDF材で1mmオフセットした少し大きめのコピー原型を制作。
    このMDF型が後々の加工の際に一番重要な基準になる。

    とにかく抜き型がたくさん必要になってくるので、ベニヤ板を接着剤で積層させて任意の厚みにする。
    プレスの際にズレないように仮止めするマスキングテープ。

    2〜3時間くらいプレス。
    ベニヤづくりする際には欠かせない、大活躍の手作り木製プレス機だ。

    切り抜いたMDFを原型に完成フレームの内枠を加工するための抜き型加工その1。

    ハンドルーターに取り付けるテンプレートの数も限りがあるので、何回かに分けて加工。

    同じような絵ばかりですが、先ほど切り抜いた型からさらに小さい型をつくる。
    抜き型その2。

    ルーターが転んだらおしまいなので、転ばないように真ん中に島をつくる。

    ルーターに取り付けるテンプレットガイド径とビット径の組み合わせで、型板に対して何ミリカットするのかを決める。

    手持ちのものは40、30、27、20、16、12、10の7種類。
    マキタの小型ルーターは12ミリの一種類しか取り付けられないのはなんとも寂しい話だけれど、これらに新しいビットと研磨して寸法が変わったビットの組み合わせで加工する。

    これでフレームの内枠を加工する型板がようやく完成。
    アクリル板の原型からここまでたどり着くまでひたすらルーター仕事だ。

    本番の無垢材を一発勝負するのはあまりにも怖すぎるので、12ミリのコンパネで試し加工。
    先ほどと同様にルーターが転ぶと今までの仕事が水の泡なので、真ん中にならい型と同じ厚みの島をビス留めして安心安全の加工を心がける。

    こんどはルーターテーブルに取り付けた上コロビットで先ほど楕円に切り抜いたコンパネの段欠き加工。

    これでようやく預かったアクリル板が嵌め込める抜き型が完成した状態になる。